2005年11月29日

妄想のメリークリスマス

クリスマスという行事がある。
おそらく一年のうちでもっとも破壊力のある行事だろう。若い人々はクリスマスの一ヶ月以上前から、その到来を心待ちにしたり、怯えたりする。
もしあなたにヒマがあるなら、2ちゃんねるにでも行ってみるといい。そこには、 クリスマスという行事に怒り、嘆き、そして怯える男たちの姿があるから。

考えてもみてほしい。本来、一年で一番プライスレスな記念日は誕生日であるはずだ。
しかし誕生日の到来にそこまで怯える人はいない。例外として、高齢の女性たちは皆一様に「またひとつ歳とっちゃったワ〜」 などと、自らの誕生日を嘆いてみたりするが、だいたいそういう人は年齢に関係なくどうみても婆ァフルな外見なので、 僕は、 歳なんか気にすることはないよ、貴女の顔はれっきとしたババァなんだから、 と優しい言葉を掛けてあげたくなる。

思うに、クリスマスとは審判なのだ。12/25といえばもう年の瀬。一年も終わろうとするその日に、 一人の人間が一年間をどのように過ごしてきたか、冷厳な裁きが下される。
裁きの結果が持つ意味は重い。天国あり地獄あり。なまじ万人へ同じ日に判決が下されるだけに、その明暗はくっきりと分かれる。 ここが誕生日との大きな違いだ。

そして裁きが下される。全ての人間は、『持つ者』『持たざる者』 に二分され、例外は無い。
持たざる者は、持つ者を疎み、嫉み、最後には笑い出す。
持つ者は、持たざる者を笑い、嘲り、最後には認識すらしなくなる。
ちなみに僕はオールウェイズ・ノーリーズンで持たざる者なので、持つ者の心情については僕の妄想で書かせていただいた。

持つ・持たないがなにで決まるかというと、これが実に下らない。要は異性のパートナーの有無だ。実に下らない。
そんな実に下らないことに最高に心捕らわれている僕の下らなさといったら、新型のスカウターでも計測不能だ。ボンッ!

人間の正と負の感情が入り乱れ、巨大で混沌とした異空間を生じる日、それがクリスマスだといえる。ベルセルクで言えば、『触』だ。 怖い怖い。

現代の若者たちにとって、本来のクリスマスの意義とか由来はどうでもいい。クリスマスとは、 異性と特別な夜を過ごすためだけに存在する日である。
それだけに『持たざる者』たちは、クリスマスを『性夜』などと揶揄し、やりきれない気持ちをぶつける。それでまたやりきれなくなる。
てかほんとにクリスマスの夜は性夜なんですか?『持つ者』側のみなさんに本気で教えてほしい。

 

まぁそんなわけで、元来の神道に儒教・ 仏教の影響を色濃く受けた独特の文化を持つ僕ら日本人の国民的行事になってしまったキリスト教のクリスマスについて、 延々とルサンチマンしてみたんですが、「神は死んだ」とか叫びながら今すぐ外に飛び出していきたいんですが、落ち着いてほしい。

先週の土曜日、もう恒例になってしまった、勉強会後の飲み会にて、僕はクリスマスの話題をみんなに振ってみたんです。そして驚いた。

なんかみんな気持ちいいぐらいに『持たざる者』なんですよ。
「今年のクリスマスはバイト入れた、なぜなら時給が400円もアップするから」と話す女の子、 「僕は敬虔な似非クリスチャンなので、今年は深夜ミサに行きます」とうそぶく青年、 「家で『耳をすませば』見ます」と語るアホ、「たぶんクリスマスは大学で補講やってるんじゃん?」 とのたまう先生。

今までのクリスマスメモリーを聞いてみても、みんなから出てくるのは、限りなく黒に近いグレーな思い出ばかり。僕もクリスマスには、 工事現場で働いてみたり、家庭教師先で男子生徒とゲームしてみたり、男二人で球を撞く遊びに興じてみたり、 ケンタッキーのフライドチキンが買えなくてファミリーマートでチキン買ったりと、涙涙のクリスマスを今まで送ってきましたが、 たいしたこと無かった。

ちなみに下の写真が僕とクリスマスを過ごした男子生徒。当時は中二でした。

P1000087.jpg

うん、たいしたことありますね。彼はね、ほくろから長い毛が生えているんだよ。もう彼の家庭教師もやめちゃったし、 彼の肖像権とかどうでもいいんで公開してみました。そして後悔してみました。 なんで俺はこんなキモヲタ戦士とクリスマスを過ごさなきゃいけなかったんだ。

この猛獣はさておき、ともかく僕は気付いた。
『持つ者』なんて、本当はいないんじゃないか。僕が勝手に生み出してしまった幻影なんじゃないか。だって現に僕の周りには、世間一般で言う 『幸せなクリスマス』を過ごした人なんて一人もいないんだもの。

まぁ世界中をくまなく探せば一人ぐらいはイチャイチャクリスマスを過ごした人がいるかもしれませんが、 むしろその野郎がおかしいのです。

「なんで俺はせっかくのクリスマスにあんなに可愛い彼女と最高の時間を過ごしてしまったんだろう、あぁ、 本当に恥ずかしい」

などと、今頃世界のどこかで頭を抱えているに違いない。ざまぁみそづけ。

 

僕はクリスマスの事となると冷静でいられなくなる子なので、このように極端な論理に走ってしまいますが、実際のところ、 僕らは実体の無いものに一喜一憂しすぎだと思うのです。

クリスマスを大切な恋人と楽しく過ごす人もいるでしょう。それは素晴らしいことだと思います。
でもそれは、大切な恋人以外とは過ごしてはいけない、ということではないですよね?そして、過ごすべき、ということでもない。この 「過ごすべき」という暗黙のルール、根拠無き論理、それが僕の言うところの「実体の無いもの」です。端的に言えば、妄想。 自分の妄想のせいで、自分の心がささくれたり、悲しくなったりするのっておかしいと思いませんか?てか単純に、損だ。

クリスマスなんて別に誰と過ごしてもいいんですよ。男同士で、女同士で、一人で、時には気持ち悪い家庭教師先の生徒と…。 楽しければいいじゃないか。
そういう意味で、僕は今までの人生、毎年のクリスマスを楽しんでいたと自分で思います。彼女なんか僕にはいませんけど、 今年も楽しいクリスマスを共有できるであろう友人が、僕には、いる。これは事実であり、そして幸せなことだ。素直に受け入れるべきことだ。

クリスマスに限らず、僕らはいつも訳の分からないもので心を痛める。今の自分は本当の自分じゃない、という焦り、 こういう時はこうするべきなんだ…、という強迫観念。

本当の自分なんていません。それは僕たちが自分の頭の中で描いた妄想だ。妄想が現実にならないのは当たり前だ。悲しいはずもない。
そして、「〜するべき」ことなんて世の中にはあんまりない。その、「べき」の根拠をもう一回よく考えてみると、だいたいは自分の思い込み、 妄想じゃなかろうか。

僕も最近はネガティブな妄想が止まらないのでため息ばっかりついてるんですけど、なんていうか、無駄ですよね、これ。妄想するなら、 自分が向上したり、快楽を得られたり、苦痛を和らげたりするような妄想に励むべきだ。そしてこの「べき」は、正しい「べき」だ!

思うに僕は妄想力そのものは十分にあるので、あとは、その力を向ける方法を制御する訓練さえすれば、 幸せを好きなだけ自己生産することができる戦士になれるはず!

幸福永久機関を目指して、今日も妄想に励もうと思います。一月早いけど、メリークリスマス。

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