2006年01月10日

出会いこそすべて(by Sir)

僕らは火を焚いていた。
俗に青春と呼ばれる、高二・三、そして一浪の多感な時期、僕らは火を焚いていた。

お茶の水神保町のちょうど中間地点、 コンクリートジャングルの中の小さな公園で、その祭りは行われていた。
なんでこんな反社会的かつ反文明的な祭りが僕らの恒例行事になったのか、今となっては誰にもわからない。わかっているのは、 ただただ楽しかったという事だけである。

当初の焚き火は拙いものだった。ただ暖をとりたいだけだったのかもしれない。 そこらへんに落ちている木切れやらダンボールやらを燃やしていた。
しかし僕らは腐っても人間である。否が応にも、過去を省みてそれを未来に生かしてしまう。
次第に木を組み、カマドを造り、野菜を焼き、網を敷き、肉を焼き、終いには予備校のテキストをも焼いた。
手順の複雑化に伴い、焚き火には共同作業、風物詩、過去の清算・贖罪などの意味が付加されていき、一種の宗教的儀式となっていった。あたかも、 ニンゲンという動物が文化を獲得して人間という社会的存在に変化していくような、そんな進化を見せていたのだ。それとも、 ゾロアスター教の成立過程を、僕らは身をもって再現してしまったのか。

でもたぶん、それはそんなに大それたものなんかではなく、僕らはただ、友人たちとの不確かで儚い絆を、 火を囲むことによって確かめたかっただけなのかもしれない。

そもそも、みんなでメシを食いたいだけならば、文明の象徴であるマクドナルドにでも行って、 58円バーガーを何個も頬張っていればよかったのだ。みんなでコンビニの前に座り込んでカップラーメンをすすってもよい。
それなのに、なにかに取り憑かれたように僕らは定期的に火を焚いた。
豪華絢爛を極めた最盛期の焚火に於いては、なんと一人につき2000円程度のコストを必要とした。今となっては屁みたいな金額だが、 一介の高校生にとっては、2000円は目が飛び出てそのまま戻らなくなるような大金だ。
また、儀式はしばしば深夜にまでおよび、大学受験を控えた僕らにとっては時間的損失も馬鹿にならなかった。深夜に帰宅した僕は、 何回親に閉め出されたかわからない。
お金と時間と体力をふんだんに浪費したあげく、燻製のような匂いを服と体から発しながら、深夜に自分の家をピッキングする羽目に陥る…。 なんというアイロニィだろうか。
しかしこの割に合わなさこそが、プライスレスなのだ。

放課後、公園に到着すると僕らは何班かに分かれ、準備を始める。
公園で木を拾ったりへし折ったり、コンビニからダンボールを取ってきたりする燃料班。
岩波ホールの隣のスーパーまで出向いて食材や道具を購入する買出し班。
水源の近くにカマドを造る設営班。

この設営班がひどかった。
僕らはその防火意識の高さから、公園内の小汚い池にかかる石橋の上にカマドを設営していた。そのためにまず、設営班のエース・ TACKさんが服を脱いでおもむろに池に入り(ご存知の通り彼は裸をこよなく好む)、 その鍛え抜かれた筋肉で池の底板をベリベリと剥がすのだ。底板は正方形の石で出来ており、厚さも手ごろである。橋の上の僕らは、その3, 4枚の底板を組み合わせてカマドを造るというわけだ。

こうして、国民の血税でできた底板でできたカマドが完成すると、火を起こし始める。
僕らは炭とか固形燃料といった小洒落た物は使用しなかった。ダンボールや、折った生木などが主燃料である。当然、 安定した火力を得ることはなかなか出来ない。僕らは膨大な量のダンボールをぶちこみ、刺激的な煙を全身に浴びながら風を送り続ける。 煙よけに競泳用のゴーグルをつけている奴もいた。完全なる不審者である。
また、ダンボールの材質によっては、炎が緑色になったり青色になったりする。「この炎色反応は銅かな、マグネシウムかな…」 などと理系の僕らは議論していた。常に何かを学び取ろうとする姿勢を忘れない…受験生の鑑である。

この段階で、アルミホイルに包んだ芋類やソーセージが火の中に投入される。何回もの失敗から学んだ知恵だ。

ヒマな人たちは、公園でおもむろにサッカーを始める。
この公園には幼稚園が併設されており、僕らはサッカーに熱中するあまりに何回も何回も幼稚園の窓にドライブシュートを叩き込んだ。 ちなみに焚き火に使う火バサミは、この幼稚園の物置から勝手に拝借した、砂場の中の猫のフンを取るための鉄バサミだ。 毎回幼稚園の柵を乗り越えて、取りにいくことになる。

僕はこのヒマな時間に、空腹と好奇心からペットのエサを食べたことがある。空腹状態でスーパーに行くと、ペットフードですら、 とても美味しそうに映るものだ。
僕は猫用の缶詰と犬用の骨を購入し、食べてみた。
猫缶は不味い。味がほとんどしない肉ゼリーのような感じだ。おまけにニャンコの整腸用に砂が入っているのか、噛むたびにジャリジャリする。
犬骨もまた不味い。不味いというか、ただただ硬い。「これが本当の、歯が立たない、だね」などと言いながら、 僕はワンちゃん用の骨をしゃぶっていた。

そうこうしているうちにカマドの火力が安定してきたら、カマドの上に網を敷く。
この網の上で山の幸・海の幸がジュウジュウと焼かれ、鯛や平目の舞踊りとなるわけだ。

僕らは色々なものを焼いた。味つき肉、帆立貝、はまぐり、ほっけ…。
特に貝類は美味しかったと記憶している。貝のフタが開いた瞬間、醤油とバターをたらして貝汁ごといただくのだ。

この頃になると最初に投入したアルミホイルの一群が焼きあがっており、僕らはジャガイモを主食に、肉や魚をほお張る。 ジャガイモにはシンプルに塩を振るもよし、バターをのせるもよし。とにかく旨い。無駄な苦労を重ねた分、旨い。

台湾さんが実家から持ち出してきた高級ワインなどをあおりつつ、宴はたけなわに。 裸族のTACKさんが全裸で池に飛び込み、水浴びを始めたりする。
まるで美の女神のように、浅く汚い池でチャポッ…チャポッ…と水浴びするTACKさん。「EBAちん、背中流してよ」などと彼に言われると、 僕は断り切れなかった。
ある時は、近隣にある明治大学の学生らしき男が、酔っ払っているのかなんなのか分からないが池の中のTACKさんに合流し、 水のかけ合いっこを始めたりした。馴れ馴れしく話しかけてくる明大生もいた。明治大学はアホの巣窟なのだろうか、 と当時の僕は冷笑していたものだ。

しかし、楽しい時間は必ず終わる。
焚き火の終わりを告げるけたたましいサイレンと、真っ赤な光。
そう、パトカーだ。

警官がこちらに向かって走ってくる。当然だ。公園からもうもうと煙が上がり、バカ笑いが聞こえてくるのだから。 近隣住民が通報しないほうがおかしい。目と鼻の先の、本の街・神保町にまで延焼したら大惨事である。

こら!お前ら、なにやってんだ!

焚き火です。

警官への対応も落ち着いたものだ。
こういう場合は、二人一組で行動する警官のうち、年配の警官に狙いを絞るのがセオリーだ。若い血気盛んな警官は大抵バーサク状態になっており、 話し合いの余地が無い。それに対して、年配の警官は、対応さえ誤らなければ平和的な解決が可能だ。しかし当然、 酒の類だけは隠さなければならない。

僕らは年配の警官に向かって、真摯に状況を説明し、心から反省したかのように謝罪し、 綺麗に片付けて安全を確かめてから速やかに撤収する旨を伝える。
もちろん、随所で子供らしいやんちゃっぽさをアピールすることも忘れない。若さゆえの有り余る行動力、といったものに年配の警官は甘いのだ。

こういった懐柔を行なうことで、警官たちは満足し、「もうこんなことやるんじゃないぞ、ハハハ」などと笑いながら去っていく。 警官撃退イベントはすでにこのようにマニュアル化されていた。

不思議と、パトカーが来るのは帰るのにちょうど良い時間帯だった。僕らが焚き火を堪能しきったころに、彼らは来てくれる。

僕らはノソノソと片づけを始める。
片付けといっても、ゴミを公園のゴミ箱に捨てるぐらいだ。
唯一愉快なのが、カマドに使った池の底板を再び池に還すとき。数時間に及ぶ焚き火で熱されきった石板を、軍手をして、 橋の上から池に放り込む。
ドッボォーン!ジュワァァ!
水柱と水蒸気がたち、底板は在るべき場所へと還る。これで焚き火はおしまいだ。心地よい疲れと、服に染み付いた煙の臭いに包まれながら、 僕らは家路に着く。バイバイ、また明日…

 

僕のかけがえの無い思い出のひとつだ。
でも、もう、僕には、こんなこと、できないんじゃないか?最近そのような考えが頭を巡って離れない。

年末年始に当時の仲間で集まると、必ず、焚き火の話になった。みんな、焚き火をやりたがってはいる。僕も焚き火をやりたい。 でもどうしてもできないのだ。なんだかんだで、実行に移せないのだ。
これが大人になったってことなのか?昔みたいに楽しいことが、肉体的・精神的に実行不可能になるってことが、大人になるってことなのか? 僕は弱冠22才にして、老いることへの恐怖を感じてしまった。これから生きていく限りずっと、 この恐怖はどんどん大きくなっていくのだろうか。だとしたら、これからの人生はとても辛いものとなるに違いない。

でも当然、昔は出来なかったけど今はできる、って事も多いのだ。
高校とは毛色の違う友達だってできたし、楽しい遊びも色々知った。高校生の時とは、使えるお金だって桁違いだ。
そもそも、今も昔も、僕は楽しい毎日を送っている。なにも不満なところは無い…はずなのに、 なぜか僕は昔のことを思い出すと寂しい気持ちになってしまう。

というような話を、一昨日の夜、としていた。一昨日は先生の家で勉強会&新年会をしたのだが、 電車が無くなってしまったKは僕の家に転がり込んできたのだ。

K(27歳・男性)は言った、「今のオレならその寂しさは共感できるけど、オレが22とかのときはそんなこと考えてなかったぞ、 毎日何も考えずに飲みまくってたぞ」。
どうやら僕は年齢のわりに、落ち着いているらしい。そう聞いて、嬉しさよりも寂しさが先にくるという寂しさ。

しかし、話しているうちに、そんなことがどうでもよくなるような事実が発覚した。

「そういえばオレも当時はしょっちゅう明治大学に行って酒のんでたんだけど、公園で火焚いてるバカがいたよ」

EBA「どこの公園?何年ぐらい前?」


(会話中)



EBA「それって俺じゃん」

当時、明治大学の学生でもないのに明治大学のサークル棟で頻繁に酒を呑んでいたKは、酒を買出しに行く際、 必ず件の公園を通っていたらしい。というか、その公園は、明治のサークル棟とは道を挟んで隣なのだ。そして公園には、 楽しそうに火を焚く一団が。
自身も酔っ払っていたKは、その一団に馴れ馴れしく話しかけ、持っていた酒を気前よく振舞ったという。

また、当時彼が一緒に呑んでた先輩が、買出しに行く、と言ってサークル棟を出て、なぜか水浸しになって帰ってきたらしい。

どうやらその先輩とは、全裸のTACKさんと水浴びをした、あの名も知らぬ男のようなのだ。
そして、Kが公園で酒を振舞ったのは、他でもない、この僕だったのだ。
時期的、場所的に完璧に符合するし、なにより、あの公園で焚き火をするキチガイは僕らしかいなかった。 僕はその公園にはほとんど毎日通っていたので、間違いない。
そして、警官や酔っ払いといった外敵への対応は、僕がほとんど一手に引き受けていたのだ。

つまり、5年前、馴れ馴れしいアホ明大生が来やがった、と僕が思った相手がKであり、 公園で火を焚いてるアホがいやがる、とKが思った相手が僕だった。
さらに言えば、僕が大学で知り合った友人であるKの、元カノの先輩が、僕が高校で知り合った友人であるTACKさんと一緒に、 池で水浴びをしたのだ。

なんという恐ろしい偶然だろう。やはり火には特別な力があるのだろうか。僕らが焚いていたあの火は、 御茶ノ水中のバカを呼び集める狼煙だったのかもしれない。

それにしても、人と人との縁はわからないものだ。こんな奇妙な縁がこれからも色々な人と紡がれるというなら、 年をとるのも悪くないと思えた。

この記事へのコメント
あんなに楽しかった焚き火も、もうがんばらないと出来なくなっちゃったね。
今でもがんばれば出来ると思うけど、それで本当に楽しいかわからないよね。
でもやろうよ!モリ買ったし。
Posted by マイクル at 2006年01月10日 09:56
それすごすぎ!!!

え〜?!
こんなことがあるのか?!

これ男と女だったら結婚ですよ!
ケッコン!!!!
Posted by aki at 2006年01月10日 14:57
>>マイクル
うん、がんばろう。
春休みの列島縦断の際にでも、鹿児島か沖縄でやろうぜ。
あともう一回だけ焚き火に挑戦してみて、続行か引退か決めよう!
函館でやった焚き火は楽しかったもんな…


>>aki
すごいでしょ?
Kの話を聞けば聞くほど、それって僕たちのことなんだもの。
世界は不思議に満ちているよ。
Posted by EBA at 2006年01月11日 00:30
僕も目撃した気がする、それ・・・奇声上げてるなー、という感じで、公園のわきの道をよく通ってて。アホな明大生だろうな、ぐらいに思ってた(明大生がアホなのではない)。あの辺、予備校も多いし、レコード屋とか楽器屋とか古本屋とか、中高は予備校をサボってムダに通ったりもしていたよ。ヒマつぶしには最適で。(そんな頻繁にあの辺通ってたわりに、一度もそこでは出くわしてない?不思議だな)

EBAとは違うレベルなんだろうけど、一時期何かに意味不明なぐらい熱狂していたのに、それを過ぎると、あれってなんだったんだろ、みたいなことは、たしかにあるね。必ずしもからだの問題でもなさそうな。波はあるけど、むしろ昔(高校とか)よりは今の方がからだ使ってる気がするし。だから、老いる、とも思わないのかな。単に、前やってたことは今はできないけど、前できなかったことが今はできる、というか。たまに思い出すと懐かしいけどね。

だからTACKさんの水浴び姿も、公園に入ってしっかり目に焼き付けておくべきだったな。ちょっと悔やまれる。
Posted by ツイシィ at 2006年01月12日 12:09
懐かしい。
警察に注意されたとき僕たちは胸を張ってこう言ったね。

「僕たち、明大生です!!」

もう一度焚き火したいけど、この歳でやったら焚き火ではなく”バーベキュー”とか”キャンプファイヤー”になってしまいそうだ。
あの”焚き火”に漂う追い込まれた生活感にはもう戻れないのでしょうか。


Posted by はら at 2006年01月13日 07:10
>>ツイシィ
そうそう、駿台の脇にある坂道を下っていく途中にある公園だよ。
君、御茶ノ水によく来てたのか。俺は公園・ゲーセン・コンビニのどれかにしかいなかったから、会わなかったのはうなずけるよ。

あと、昔を思い出して懐かしい、ってとこまでは俺も君と一緒なんだけど、次にその懐かしさが寂しくなってきちゃうんだよね。
で、懐かしさが寂しい、って感じるところで、更に寂しさを感じてしまうの。
そこまで来てから、あぁ、これが老いるということなのかな…と思って、もう一回寂しくなるのです。ある意味デフレスパイラルかもな。


>>はら
たしかに、御茶ノ水では、なにかあったら明大生が疑われる、という土壌ができてたから、彼らを隠れ蓑にしやすかったね。馬場における早稲田生と全く同じです。

焚き火については、春休み中に結果を出したいね。今の僕たちがどれぐらい『焚き火』できるのか。
今は生半可に金があるだけに、バーベキューもできてしまうんだよな…。
でも『焚き火』と『バーベキュー』は明確に分けていきたいと思う。焚き火のあの泥臭さは、やっぱり『焚き火』としか表現できないから。

まぁTACKさんがいれば、それだけで『バーベキュー』も『焚き火』になっちゃう気もするね…。
Posted by EBA at 2006年01月14日 04:21
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